「わたしのマンスリー日記」第18回 幸福な死――「野菊の墓」
「野菊のごとき君なりき」
この作品に最初に触れたのは小説ではなく、それをもとに製作された「野菊のごとき君なりき」という映画でした。記憶に間違いなければ、小学校5、6年ころ学校の体育館で観たはずです。
千葉県を舞台にした純愛・悲恋物語で、ストーリーはわからずじまいでしたが、スクリーンは鮮明に記憶しています。場面は主人公の政夫が舟に乗って川を移動する光景を撮ったものでしたが、信州の山国育ちの私には何とも不可解な映像でした。長野県の川はいずれも急流で、舟で移動するなんてことは想像の域をはるかに超えていました。
物語は政夫の回想のスタイルをとっていたために、スクリーンの周辺をぼかしたモノクロの映像は、当時すでに地理大好き少年だった私に忘れ得ぬ衝撃を残してくれました。
『野菊の墓』の冒頭に次の一節があります。
「僕の家というのは、松戸から二里許(ばか)り下って、矢切(やぎり)の渡(わたし)を東へ渡り、小高い岡の上でやはり矢切村と云ってる所。矢切の斎藤と云えば、此界隈(このかいわい)での旧家で、里見の崩れが二三人ここへ落ちて百姓になった内の一人が斎藤と云ったのだと祖父(じじい)から聞いている」(以下、引用は新潮文庫より)
主人公の政夫は15歳、民子は17歳……。幼馴染の二人はお互いに惹かれながらも、民子が2歳年上だということで結ばれず、政夫が学校(旧制千葉中学校、現県立千葉高校)に学んでいる間に民子は嫁ぎ先でなくなってしまうという悲しい物語です。